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​思い出の中学生時代

僕が本気で勉強したのは中学2年生の前半です。それまでは部活動でソフトテニスに熱中しまくっていました。朝起きても、授業中でも、ご飯を食べててもずっとテニスのことしか考えてませんでした。

 

父には勉強なんか必要ない。やらんでも生きていけらー言われてきました。なので1日のうち勉強のことを考えたことはありませんし、勉強という言葉も発したことがないぐらいです。(それは言い過ぎと思うかもしれませんが本当です。)

 

学校から帰っても友達や父親などにお願いしてテニスの練習していました。なのでテストの点数は5教科合わせて20点ほどでした。運がよくて最高50点ほどでした。普通の先生ならこの点数で部活動なんて絶対にさせてくれません。

 

でも、当時僕の担任の先生は「勉強なんてできなくても後から挽回すればいい。君の年でそれだけ本気で打ち込むものがあるんだったら本気で気が済むまでやればいい。それだけ本気でソフトテニスに打ち込めるなら引退した後、それが勉強に変わるから。だから焦らず目の前のソフトテニスを全力でやり切りなさい」と言ってくれました。

 

そして最後の総体では団体・個人・共に優勝して引退できました。思い残すことはありませんでしたし、一生分ソフトテニスを楽しみました。

 

さて、次は勉強と。勿論できるわけがありません。2年分みんなより遅れてるんだから...。これから俺どうしようと思っていた時、高校見学(オープンハイスクール)に行ってみました。

 

僕もここに行きたい!と思いました。その理由は、三木東高校のソフトテニス部の顧問の先生が日本一の先生でこれは絶対に行くしかない!!と思ったからです。

(本当は女の子が多かったというのが一番の理由です。※これガチ)

 

その日から僕に勉強の神が舞い降りてきました。ついに本気で勉強しようと心の底から思いました。

 

でも、自分では勉強の仕方がわからないので、まずは父に「俺、高校いくから。絶対受かりたいから勉強の仕方教えてくれへん?」とお願いして、父との勉強がスタートしました。

 

テストまで3週間ほどだったので、父は「まず5教科全部点数上げることは諦める。覚えるだけでいい社会、理科、英語の単語だけ今回は完ぺきにするぞ」と言ってまずは英語の単語から始めました。

しかし!!

父はこの後、とんでもない衝撃を受けることになります。まずは基本中の基本です。

​父「これは何てむ?」そう言って父が指さしたのはwe(私たち)でした。

僕「...うぇ。

父「お前マジでーーー!!!中2やろ?終わっとんなーーーー!!!

​その時の父の顔を今でも覚えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当にこんな顔でした。僕はそこで初めて焦りました。「これは本気でせなやばい」そう思いました。

 

計画は最初5日間英語、次の5日間は社会、次の5日間は理科、最後は3教科の総復習で行こうと決めました。

 

とにかく書いて覚えての繰り返しで、3週間1日5時間やりました。その結果、5教科20~50点が180点まで上がりました!その時「え。やったらできるやん俺。楽しいぞーーーーーーー!!」と思い引き続き勉強に励みました。

 

次は英語を勉強すると決めて、英語の先生に「俺絶対に高校に行きたいから、英語教えてください!本気で何でもやるから!」とお願いして、夏休みはほぼ毎日学校に行って勉強しました。アルファベットから勉強しました。

 

30日程でプリントを500枚程したと思います。ですが不思議と楽しい気持ちしかなくて毎日何時間しても勉強し足りません。時には「先生、明日も頼むなーー!」と言うと

先生が「こうき、明日は安ませてくれへんか。さすがに1日ぐらい休んだ方がええと思うけど

僕「あかん。今日はここまでできるようになったから明日はこれ使って応用問題するって決めてるねん。だから明日も勉強する!」先生「お、おう。わかった。うん。

こんな感じで普段勉強しなさい!という先生が引くほどしつこくお願いして、僕が先生を居残りさせてる感じでした。夏休みが終わると、数学も勉強しようと思い、校長先生に教えてくださいとお願いしました。校長先生とも仲が良く毎日放課後に教えてもらいました校長先生が話し合い中でも関係なく「数学今日も教えてくださいー!」校長先生「すまん、今会議や。

僕「この問題だけ!5分でいいからお願いします!

​校長先生「今日は遅くなるからまた明日でいいか?

僕「絶対に今がいいです!五分だけでいいから教えてください。じゃないと僕今日寝れません。いや寝ません!校長先生「5分だけな...僕「あーりがとございまーす!」こんな感じで数学も教えてもらいながら、他の強化も並行して勉強できるようになり、3年生の2学期最後のテストでは5教科300点ほどまで上がりました。

 

通知表も最初は9教科で18(MAX45)しかなかったのに、最後では25まで上がって推薦入試を受けられることになりました

 

それからも毎日面接練習、論文をひたすら描きました。論文も2週間で100枚以上描きました。周りからは「そんなに書かなくても...」と言われましたが、試験でどんな題が出ても、イレギュラーがあっても落ち着いて対応できるようにしました。

 

落ちたら人生終わりぐらいの気持ちで毎日練習しました。寝る前は絶対受かると何回も自分に言い聞かせました。そして迎えた受験当日、受験番号は1番。これは受かるってことやと、すべてプラス考えて臨みました。

 

手ごたえありで、これで落ちてたら逆に気持ちがいいと思えるぐらいやり切りました。結果は見事合格。そのあとはすべての先生にお礼を言いに回りました。

担任の先生は放課後僕を呼び出して「こうき、ホンマにおめでとう。高校に受かったことは確かに結果としておめでたいことやけど、それ以上に俺がすごいと思ったのはここまでの努力や。ずっとそばで見てたけど、しつこく先生にお願いして勉強教えてもらったり、休みの日まで職員室にがつがつ入り込んできて先生引っぱり出したり、必死になって勉強しとるこうきはホンマにかっこよかったぞ。この中学校生活でお前は間違いなく成長した。俺はホンマに感動した。」と言ってくれました。

 

(最初からちゃんと勉強していれば普通に高校行けてたのですが。)

中学校生活を通して僕が気づいたのは、結果を出すためにはまず自分が目標、執念を持つこと、まず自分が真剣に取り組むこと。絶対に成功させたい!と強い気持ちを人に伝えて応援してくれる仲間を作ること。これは、当たり前に学校に行って、当たり前に授業を受けて、当たり前のように授業を受けていては気づけなかったことです。(サボってたことをええように言うな!)お金を払ってるから先生が教育するのは当たり前。ではないんです。自分で目標を立て、結果を出すための環境を自分で作っていくんです。これは大人になっても変わりません。この中学校生活があったからこそ今の僕があります。本当に思い出に残った中学校生活でした。僕程濃い中学校生活を送られた方はいないのでは!と思うほどに充実していました。

 

 

※皆さん、ストーリー的には東大受かったんか?というぐらい大げさに書いていますが​合格したのは三木東高校です。偏差値は43...ぐらいです。周りの人たちの滑り止めレベルです。お恥ずかしい...

これが東京大学とかなら今頃ドラマになってたんやろなぁー

驚きのイラスト
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